セコリギャラリー
取材・文:瀬尾陽(JDN) 撮影:木澤淳一郎

公開日:2016/07/04

働き方インタビュー

産地の技術を残していくために、やんわり新しい価値観をデザインする

セコリギャラリー

宮浦晋哉 ファッションキュレーター

東京の下町、月島にある築90年の古民家を改装したコミュニティスペース「セコリ荘」。その不思議な名前もさることながら、週末になるとおでん屋にもなるという謎のスペースが、若手のファッション関係者が集う場所となっているのはご存知だろうか?「衣」「食」「住」にまつわるカラフルな時間が流れる、「セコリ荘」を主宰する宮浦晋哉さんにご自身のお仕事についてうかがった。

繊維の産地と人をつなげる「セコリ荘」


Q. セコリ荘をスタートする前はどんなことをしていましたか?

「セコリ荘」がオープンしたのが2013年の9月。この物件を借りて「家開きの会」というお披露目会をしました。そこから2014年の中頃まではブログだけでカジュアルに活動報告をしていて…いまでも何をしている人かわからないとよく言われるんですけど、その頃はなおさらだったと思います。営業時間もだんだん遅くなっていって、いまでは週に15時間しか空けていてないんです(笑)。

「セコリ荘」をスタートする前から、もともと工場にすごく興味があって、工場をひたすら訪れるみたいな活動というか、半ば趣味みたいなことをしていたんですね。自分の貯金を使っていたので、どんどん銀行の残高が減っていくという(笑)。そういうことをブログに書き続けていたら、途中から寄稿の依頼をいただくくようになって、少しずつ交通費くらいはトントンになるようになったのが、2013年の1月~2月くらいでしたね。この頃から週1くらいで全国各地に行くようになりました。

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正直言って、いまみたいな仕事をするようになることは想像していなかったですね(笑)。本当に将来どうしようって思っていましたもん、就職はできないだろうと思っていたぐらいで。大学は杉野服飾大学に4年間行って、その後にイギリスのロンドンカレッジオブファッションに留学して、就職活動も一瞬だけしました。「コム・デ・ギャルソン」だけ受けましたが、これがものの見事に落ちました(笑)。

新卒採用は無理だし、かと言って中途入社で戦えるようなスキルも無い。「じゃあ、やりたいことをやろう!」という感じで、何も未来は見えないまま工場に行きまくるところからスタートしました。

最初は「ちょっと前まで学生だったんですけど~」みたいな感じで見学させてもらって、それが逆に良かったんですね。「ああ、服飾の学生さんなのね」みたいな認識をしてもらえたので。途中から「Webで文章を書いて発信している者なんですけど~」と言いはじめた時に怪しまれました(笑)。Webって何?新聞なの?雑誌なの?みたいな感じで。

Q. 宮浦さんのお仕事について教えてください

時期によって変わるんですけど、金土日は「セコリ荘」を開けて、平日は産地に足を運ぶリズムができつつあります。行きたい産地を定めて月曜日か火曜日に出発、木曜日くらいまでは工場見学をして記事を書いたりしてます。

最近では、他の媒体の方もお連れするようなことも増えたり、あるいはデザイナーさんと一緒に行ったりとか。ある意味で産地とつなぐ役目のようなこともしています。これまでに全国のほとんどの繊維の産地には行っていて、同じところに行く回数も増えているのでカウントが難しいんですけど、年間150~200社くらいの工場を訪問しています。

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朝起きて夜まで、多い時は5件くらいはしごしたりしています。少ない時でも午前1件、午後1件まわったりして、待っているお客さんやデザイナーのために生地を買ったりしつつ、いま織ってる生地の話とかをして情報交換したり。そういう仕事が増えてきましたね、そう考えるとやっていることは代行にも近いですかね。

週末に「セコリ荘」を営業している時に、色々なファッションデザイナーの方が来てくれて、次のコレクションでつくりたいものの話を聞いて、サンプルを取り寄せたり、画像で見せて説明したり、既に手札として持っているのであれば見せたり、無い時は一からつくるお手伝いをしたり。かなりフレキシブルで、そこが僕がやるべきこと、大手と対抗できる隙間なのかなと。まあ、そんなに深く考えてないんですけど(笑)。

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大きなロットで動くだけじゃない、クリエイティブな技術みたいなところにやっぱり興味があって。ものすごい発注がたくさん来たら困るけど、少量だったらできるよみたいな、そういう技術で市場に出ていないものが、日本の工場にはけっこう多いんですよ。

Q. 「セコリ荘」は具体的にはどんな場所ですか?

「セコリ荘」は”コミュニティスペース”と言っちゃっているんですけど、ショップとショールームとラウンジが合体しています。本当の目的はここに集まる人と人との交流みたいなところがあって、あくまで酒場みたいな設定で営業しているんですね。しかもちょっとアクセスの悪いところで(笑)。それも含めて時間を忘れて話せるような交流場所というか。

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最初はオフィス利用みたいな感じで生地を綺麗に並べていて、パタンナーやデザイナーとか、生産管理の人とか集まってくれていたんですけど、会話が偏ってしまい、同じ業種の人ばかりだと何かつまらないなと思って……。

要するにもっと広げたかったんですよね。グラフィックとか建築とかの人にも、日本の生地の技術をを見せたかったし。広げていくにはどうしたら良いのかと考えた時に、色々な人が集うおでん屋にしよう!と思ったんです。おでんを囲んだ小さい食卓というか。そんな感じが「セコリ荘」の成り立ちですね。

僕自身は個人事業主なんですけど、金沢店には金沢店の店長がいて、「セコリ荘」は2拠点でそれぞれ、アルバイトに来てくれている人が何人かいる。ここでバイトしていることによって、ごはんを食べている人はひとりもいなくて、みんな何かしら兼業をしていて、キャラの濃い人に週に1回来てもらっている感じですね。フランスの有名ショップで店員をしていた、来日して1年半になるフランス人とか、「ほぼ日刊イトイ新聞」の元スタッフとか、みんなキャラがめっちゃ濃くて話が面白いんですよ。

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最初は月島で「セコリ荘」をやろうとは特に思っていなくて、物件を持っている大家さんとの出会いからですね。生地のサンプルがすごく増えてきて、デザイナーさんから相談に乗ってくれないかと言われだした時期がけっこう大変だったんですよね、その都度生地を運んだりするのが……。これはもう単純に場所が必要だなと思って。それであちこちに聞いていたら、いまの大家さんを紹介してもらえました。色々な物件を持っている方だったんですけど、あまりお金がなくて高い賃料は払えないと伝えたら、「うちの実家なら安くて良いから使って」みたいなにおっしゃってくれて。そこがここだったんですね。

この外観とかすごくイイ感じで気に入ったし、一軒家というのもがまた良くて、「もう是非!」という感じでした。7年くらい空き家だったらしいので掃除はけっこう必要でしたけどね。当時で築90年以上って言われてたんで、いまは100年が見えてきているという(笑)。

0から1が生まれる瞬間を見られるのが面白い


Q. 近年取り組む新しいプロジェクトについて

最近は展示会をつくるということもやっていて、空間づくりのお手伝いとか。去年は「神戸ファッション美術館」との企画を1年間色々やりました。

時代的にも「どうぞ見てください」だけではなく、もう少しインタラクティブな方に寄せていったほうが良いね、と美術館のスタッフとも話して。講演会を聞いて、職人さんや展示されたものをつくった人とかを呼んで、そういうところをイントロにして交流できるような時間をつくったり、産地に行くバスツアーも組んだり。

より五感を使ってというか、気がついたら産地の生地に触れていた、みたいなところまで持っていけるように色々と企画しました。もともと、「神戸ファッション美術館」の若いスタッフたちが「セコリ荘」に飲みに来てくれていたりして、西洋のオートクチュールとかばかりじゃなくて、日本のアイデンティティみたいなところを出していきたいよね、なんて話をしました。

Q. この仕事のおもしろさと難しさ

そうですね……やっぱりファッションとかものづくりが好きで、この仕事をしているんですけど、ものづくりの現場にしかない面白さがあって、頑張ればけっこうなんでもつくれると感じています。現場にはそういう可能性が溢れています。

展示会とかで商材として見ただけではわからない、なかなか見えてこない世界が圧倒的に広がっているので、そこをちょっと変えたらこうなるんじゃないか?みたいなアイデアが無限にあるように思います。そこに立ち会える面白さですよね。

0から1が生まれる瞬間が見られるのが超面白くて、予想だにしないものがバッと出てきたりとか、それをいちばん近い距離で見られる、僕らの仕事はそこがいちばん楽しいし、一般のユーザーにもそれを丸ごと伝えるというのが僕らのやるべきことだと思っています。その面白さを誰よりも詳しく話せるというか、その出来上がるまでを見ているからこそできることですよね。

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苦労していることでいえば……僕らはOEMの会社ではないんですよね。僕らを通してというよりは、デザイナーと工場をつなぐことに面白味を感じているところもあるので、直で繋いでそこに立ち会うみたいなのが理想なので……つまりお金の落とされ方が微妙なんですよね。

信用とか信頼で成り立っているというか……。例えば、合成繊維の糸でニットを編みたいけど、職人さんには編めないと言われたみたいな、そういう揉めごとというほどでもないんですけど、職人さんと上手くコミュニケーションがとれないときに、フォローに入ってほしいみたいな相談が来ることがあります。

そういう時は手伝いたいんだけど、困った時の第三者フォローみたいのをやっても僕らにお金は入らない。この案件ボランティアだったね……みたいな。そこが苦しくはないんですけど、これからどういう風にしようかなあという悩みどころですね。

色々と関わる人も増えてきて、もっと「セコリ荘」も広げていきたいし、僕のやってることをちゃんとした仕事にしたいというか。どんどん新しい人が入ってこれるような業態にしたいので、よりスキームみたいなのを固めていきたいなあと思っていて。そこがふんわりしていると新しい人材が入ってこないなと思っています。

ひっそりと価値が生まれるように隠れて頑張る


Q. 「セコリ荘」の名前の由来

杉野服飾大学の3~4年時にコース選択する際に、コースのひとつに”セコリ式”というのがあったんですよ。日本とは違う製図の仕方で、囲み製図といわれる方法で描いてて……話が脱線していきますよね(笑)。で、その”セコリ”という名前が気に入って、Tシャツのプリントとか、刺繍で”セコリ”って入れたりしていて。あと、SNSでも”セコリ”という名前を使っていたので、そうするとSNSで知り合った人にリアルな場所で会うと「セコリさん!」と呼ばれるようになって、ぼくのアダ名になっていった感じです。実はイタリア語の「secoli」とはスペルが違くて、僕の場合は「secori」なんですけどね。そのアダ名を「セコリギャラリー」という事業名にして。「セコリブック」という本をつくったり、「セコリ荘」とか、「セコリ百景」とか、全部”セコリ”をつけて……「セコリジャパンスクール」という学校もあるんですけど、そちらとはまったく関係ないです(笑)。

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Q. キュレーターというお仕事について

現状は”キュレーター”がしっくりきている言葉で、なんというか”プロデューサー”とかではないと思います。ひっそりと価値が生まれるように隠れて頑張るみたいな。話がまとまれば岡山とか、京都の丹後とかにも拠点をつくりたいですね。あと、今年から名古屋芸術大学でテキスタイル学部の授業を持つので、名古屋にも拠点をつくりたいですね。愛知、岐阜には繊維工場が多いし、珍しい機械が多くて、そこにしかないものをつくれたら面白いなと思いますね。

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でも、実際に”箱”をつくるとお金もかかるし、絶対に人が地域をレぺゼンすると思います。「セコリ荘名古屋」といえばこの人だよね!みたいな。やっぱり人を選ぶのが大変だし、その人を食べさせていかなきゃいけない。けっこう難しいですね。

いま、インターネット上に「セコリ荘」をもう一個つくろうみたいなプロジェクトもあって。まだ詳細は決まってないんですけど。全国各地で発信したい人が文章を寄稿して、商品も紹介して、それを読む人もいて、欲しければオンラインで買えるみたいな。

あとは発注までできたら良いですね。こういうのが欲しいんだけど売ってなくて……とかに対応できるようなボーダレスな感じ。まずはネットでそういう各地との繋がりをパワーアップしようかなと、場所として各地に開いていきたいんです。

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Q. セコリ荘が目指していること

日本国内で受け継がれているある技術が、海外ではすでにもう無くなってしまっていることも多いんですけど、日本各地の産地が衰退しているいま、危機感とか使命感は常に持っていたい。産業との繋がりがなくなると技術はなくなってしまうので。それが活動のモチベーションです。

産地の衰退に歯止めをかけたいし、素材を新しくデザインして、後継者が入るきっかけをつくったり、文化を残していくみたいなことにやり甲斐を持っていたいですけど、それをそのまま表現すると暑苦しいというか……そこをギアチェンジするっていうのかなあ。それをデザインを使ってどう伝えるとか、そこを上手くできるように頑張っていきたいということを、うちに来てくれてるスタッフにも伝えていて。布の持つ魅力とか、やっぱり日本って良いよね、というのをやんわりと表現していく。体感ですよね。それを空間で表現するとか、イベントで表現するとか、色々とやりかたはあると思います。

あと、僕らはものづくりをしていくときに、日常生活で誰でも手に取れるカタチに落とし込むようにしています。思いっきり技術を詰めこんで10万円になるよりは、誰でも手に取れる価格のものなんだけど、国内にある技術でつくられた良さを伝わるような、情熱を持ちつつもふわっとやっていくいうか……その空気感みたいなのが大事だなって。すごい暑苦しくて宗教っぽくなっちゃうのは、「セコリ荘」でやろうとしていることとは違うかなと思うので。

Q. あなたのお仕事をほかの言葉で例えると

「セコリ荘」は週末になるとおでん屋さんになるんですけど、けっこう「おでん屋さん」っていうのが自分のやりたいことと本質的に近くて(笑)。主役ではないし、お客さんが楽しく飲んでもらって、おでんの素材とかダシが気になったらそれについて答えるし、お客さん同士に共通項があったらさり気なく繋げたりとか。お客さん同士が出会って次の店に行く、はしごしていく途中にある人が交わる場所みたいな。そんなこともあって、おでん屋さんという仕事も、僕の本当の仕事だと思っているので、そこはオンオフ無くおでん屋さんも一生懸命やっているというか。余計わかりづらいかも知れないんですけど(笑)。

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PROFILE
セコリギャラリー
生産現場、デザイン、市場を横断するキュレーションプロジェクト。2013年春に取材内容をまとめた「Secori Book」を出版。 2013年秋、各産地の魅力を集めたコミュニティスペース「セコリ荘」を月島に設立。2015年春、ウェブメディア「セコリ百景」をローンチ。同年夏、「セコリ荘」の北陸バージョンであり2号店の「セコリ荘金沢」をオープン。そのほか、さまざまな地域で、行政、企業、学校と協働して、ものづくり、ことづくりを進めている。

宮浦晋哉 ファッションキュレーター

セコリ総監督。名古屋芸術大学特別客員教授。1987年、千葉県生まれ。杉野服飾大学、ESMOD JAPON東京の夜間部でパターンメイキングとファッションデザインを学ぶ。大学卒業後、London College of Fashionに進学して、在学中にまとめた論文をきっかけに、日本のものづくりの創出と発展を目指した「Secori Gallery」を創業。国内の繊維産地を回りながら、キュレーターとしてさまざまな事業やプロジェクトに携わる。自身のニックネームである「セコリ」から、あらゆるプロジェクトに「セコリ」が展開されていて、今後は「セコリ」をフリー素材にすることも考えている。