公開日:2018/04/02
廣村沙也加さん(以下、廣村):私が学生時代に通っていた金沢美術工芸大学で、学外からデザイナーを講師に招く機会があって、その時に来ていたのが鈴木だったんです。その授業が終わった後の打ち上げの席で、ちょっとした進路相談みたいな機会に、「うちの事務所に遊びに来てみたら?」と言われたのがきっかけですね。それですぐに事務所に行って、当時進行していたプロジェクトの模型などを見せてもらいながらお話をしました。その時はPDCに入れるとはぜんぜん思っていなくて、デザイナーの職場を実際に見てみたいぐらいの気持ちでした。帰りの新幹線でお礼のメールを送ったら、「もし良かったら一緒に働きませんか?」という返信をもらって、すごくびっくりしたことを憶えています(笑)。
後々、声をかけてくれた理由を聞いたら、その授業とはまた別の時間にクラスの部屋に来ていたらしく、そこにはプレゼンの準備で模型とかいろんなモノを乱雑に置かれていたんですけど、その模型を見て興味を持ってくれたみたいです。PDCには、模型をつくって立体の現物感みたいなものを大事にしているイメージがもともとあって、それは私もデザインをしていく過程で重視したいことだったので、自分にはすごく合っていたのかなって思います。
大長将之さん(以下、大長):僕は慶應義塾大学で山中俊治先生の研究室に在籍していて、山中先生が東京大学生産技術研究所に移られる時に、そのまま引き抜かれてスタッフになりました。当時は研究機器のデザインとか、研究室で主催する展示会のオーガナイズなどをしていましたね。
研究と結びつけて、美しいモノをつくっていくことにやりがいを感じていましたが、もっと社会と結びついたところでも自分の力を試してみたいと思っていました。PDCというか鈴木は、デザイナーなのに売るところもちゃんと視野に入っている人だと思っていたので、PDCだったら造形のことも学べて、かつマーケットのことも考えたデザイナーになれるんじゃないかと思ったのが入社の理由です。
廣村:基本的には鈴木がクライアントとの打ち合わせをして、だいたい方向性が決まってから私が入る流れになるんですけど、最初のラフスケッチから、実現性のある形になるまで模型の制作や3Dでの作業をしています。そこはPDCとして大切にしている部分なので、私もその作業をすごく大事にしているつもりです。やはりプロダクトなので、使いやすさは常に考えるようにしていますね。
大長:クライアントからの依頼は、それこそ「醤油差しから鉄道車両まで」と幅広いので、まったく新しい領域のものが多く、毎回新しいお題をいただいている感じがします。その課題に対して、どういう解決策を出すかを考えるのは毎回楽しみにしています。先ほど、打ち合わせで方向性を決めるという話がありましたが、鈴木とよく話しているのは「打ち合わせで方向性が決まらないパターンは危険!」だと(笑)。とにかく、いろんな諸条件や要望を教えてもらい、そういう時にどういうアイデアや方向性が良いか、話し合ってコンセプトを設定していくことを大事にしています。結果的にですが、だいたい毎回違うアプローチになったりします。
――プロジェクトを進めていくなかで、鈴木さんから言われてはっとしたことや、印象的なエピソードなどはありますか?
大長:エピソードではないんですけど、鈴木からよく言われるのが「まだ弱い」とか「細かい」とかそういう感じでですね。
廣村:うん、確かに。
大長:それがすごいおもしろい形とかを指しているわけではなく、必然的な形であり、なおかつそれが造形としてしっかり成立していて、印象的な強さを持っているか、というところをよく問われますね。ちまちました造形とかをつくっていると「これは本当にいいの?」とすぐ言われます(笑)。
廣村:強さは気にしているというか指摘されますね。立体であることの強さを常に意識しているんだと思います。
<KOSEN>
大長:鍋島焼窯元虎仙窯の新ブランド「KOSEN」は、言葉選びをすごく大事にしています。鍋島焼は佐賀県伊万里市が産地で、庶民には手に入らない、大名に献上するための特別な焼物をつくっていました。そういう歴史的な背景があったのに、それがあまり一般には知れ渡っていないという状況です。もう1回ブランディングしてマーケットに落としていこうとする時に、どういう言葉を当てはめていくのが相応しいのかを考えました。高級感があるというか特別感、スペシャリティなモノにしていこうという方針は決まっていたので、「大名の日用品」というキーワードを設定しました。
廣村:流れ的には、大長が“頭脳担当”で、私が“手担当”みたいな感じでつくっています。このゴブレットは、最初リブがすごく薄かったんですけど、分厚い物とも比較検討してみたいということで、かさ増し用の薄い板をつくって、組み合わせて考えていく流れになっています。最初はすごくエッジが立っていたんですけど、丸い物はどうなんだろう?とか、梅の形をリブまで伸ばした感じはどうか?途中できれいにした方がいいのでは?といった感じで、たくさんバリエーションをつくっていきました。60点以上の物をひたすら積み上げて、またつくって、積み上げてを繰り返していくと、自然と形が決まってくるものなんですね。
大長:「T」って書いてあるのは「トライ」の「T」です。最初のバージョンを見て、検討したいことがあって「T2」が2種類生まれるんですよね。それぞれについて比較して、じゃあ、ここからこういうイメージで派生させていこうと、今度はまたちょっと違う「T2」が発生していくんですよね。そこから「T3」ができて、ああでもないこうでもないと検討を重ねて、また「T4」が2つできて、みたいなプロセスを重ねています。
廣村:可能性がある形は極力立体にして確認していくようにしています。やはり実物で見るのと、2Dで見ているのでは感じかたが違うので、その差はすごく大きいです。いくつもバリエーションをつくって、形を詰めるというのは常に気にしてやっています。
大長:それを「爆速モデリング」と呼んでます(笑)。
廣村:そうですね(笑)。そのデザインの熱とか鮮度をできる限り保った状態で模型をつくっています。
大長:速さをポジティブにとらえてるので、即答することも心がけています。「どう思う?」って言われた時に、自分の考えを一瞬で筋道立てて即答する。それが正解かどうかは初期段階だと誰もわからないんですよね。あえてそれをぶつけることによって、結果的にどんどん正解の精度が上がっていくのだと思います。
――「KOSEN」はどのようにプロジェクトを進めたんですか?
大長:産地へうかがって、窯を見せてもらって、青磁のお話を聞いて、改めてこの産地の技術や特徴とかを再解釈することが大事だと思いました。今回は、青磁の厚みを利用してお茶碗をスタッキングできるようにしたんですね。そうすることで青磁が「ただのきれいな釉薬です」という話だけではなくなり、別の価値も生まれてくるわけなんですね。
あと、いわゆる日用品とは別にオセロもつくりました。いまの消費者は、実は機能的なモノばかりを求めていないんじゃないか?という仮説があったんです。心に“JOY”があるモノを求めている消費者をターゲットにしていたので、「大名感」のあるアイテムをつくるのなら遊び心を大切にして、ある種余裕のあるモノをつくるという考えもあったんです。焼き物で遊び心のあるモノをつくるなら、オセロがおもしろいだろうと。ぜんぜん生活に必要じゃないんだけど、こういうモノがあるとすごくいいですよね。
廣村:やっぱり見て楽しいモノが良いよねって話になりました。駒は断面が違うモノを10個くらいつくって、その中から選んで再現できるモノをつくってもらいました。
大長:青磁は釉薬の厚さによって濃淡が生まれるんですけど、青磁の美しさがいちばん引き出されるのは、そこなんじゃないかと考えて厚みを徐々に変えていきました。
廣村:天面が凹になっていて、そこに釉薬が溜まると自然と中央にかけてグラデーションがかかるようになっています。
――ロゴデザインや写真のディレクションは?
大長:グラフィックデザイナーの村上雅士さん(㎡)に入っていただきました。というか、コラボレーションですね。形はPDCでとことんつくり込むんですけど、その状態からもっとエモーショナルにしたかったので、それなら村上さんに信頼して任せてみようと。結果、出てきたものがめちゃくちゃかっこよかったので「やったー!」みたいな(笑)。KOSENの皿やゴブレットの柄は、全部村上さんにデザインしてもらっています。
“大らかなコラボレーションワーク”みたいなことが大事だと鈴木は言っています。個々の専門領域があるので、何でも自分たちでやるんじゃなくて、プロダクトデザイナーは形をつくって、それに対してどういうグラフィックを乗せていくのか、ロゴをどうするのかというのは、そういう職能のスペシャリストに任せて、僕らが考えつかないような意表をついたアイデアを融合させていくのがおもしろいですね。
――消費者にはどのように届けようと意識していますか?
大長:鈴木からは「それ売れなさそうだね」と言われることがあるんですけど、それにはいつもはっとさせられます。それでよくよく見ると本当に売れなさそうなんですよ(笑)。それはある種、直感的だなと思う部分もあって、どちらかというと経営者が消費者の立場でものを言うみたいな感じで、これまではデザイナーの役割としてみなされていなかったところだと思うんですよね。でも、それが売り場として並んだ時に商品がどう見えるかとか、パッケージングやネーミングはどうするべきか、値段はいくらが妥当かとか、鈴木はがっつり突っ込んで話をするんですよね。そこはデザイナーが身に付けるべき、新しい職能なんじゃないかといつも思っています。
廣村:産地の人にも売りたいっていう気持ちはあるんですけど、売り出したいところが一般の消費者の方とちょっとズレていたりするところがあって、私も十分に熟知しているわけではないので難しいところなんですけど。そういうズレを徐々に軌道修正していくように、鈴木がいつも気をつけているのはすごく感じています。そういうことの積み重ねが、実際に売れる・売れないの道を分けることになっていくのかなと。
<相鉄デザインブランドアッププロジェクト>
廣村:9000系はリニューアルなので、変更点はごく一部だけだったんですけど、袖仕切りというシートの横にある壁の3Dデータなどをつくりました。そのほかに楕円形のつり革もつくりました。その頃はまだ3Dプリンタの導入前で、当時はスタイロフォームという材料を削って模型をつくって、またそれを3Dデータで形状を再現する作業をしていました。
20000系は最初の模型から関わっています。鈴木からプレゼンするにあたって「完璧なモデルに仕上げる!」と日々言われていて、プロジェクトが大きかったこともあって、プレッシャーを感じながらつくりましたね…(苦笑)。
大長:「相鉄デザインブランドアッププロジェクト」に関しては、ものすごい数の人たちが関係しているプロジェクトなんです。どのタイミングでつくって、どういう風に渡すか、というところが非常に重要で、そこの見極めが僕の仕事のほぼすべてと言っても過言ではありません。このプロジェクトに臨むときは、“仕上がっていない”っていうことは絶対ないようにしています。とにかく多くの人が関わるので、「何これ?」と思われてしまうことはゼロにする。もちろん、自分たちのデザインがすべて通るわけではないですけど、PDCでデザインをするからには仕上がっていないと仕事をしたことにならない、というのはプロジェクトへの関わりかたで心がけています。
廣村:20000系のデザインをPDCが担当するということは、すなわちいままでの車両とは変えていきたいという思いが相鉄にあったからです。いままでの車両はのっぺりとしていたのですが、今回は先頭形状に特にこだわっていて、全部削り出しでつくられています。相鉄という会社の個性を大事にしつつ、PDCにしかできない形を考えて導き出されたデザインになっていると思います。
電車は子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、ありとあらゆる人が使うモノなので、当たり前ですが怪我をしないことが第一です。車両の中に半自動スイッチがあるんですけど、それも子どもでもお年寄りでも押しやすい、わかりやすい場所に付けています。あとは車両の内装全体をグレーで統一していて、指紋は白い汚れ、ほこりは黒い汚れになるので、どちらの汚れも目立ちにくい色をベースにしています。公共のモノなので、そういう点にも気を使いました。
実際に走らせる前に何度か確認のために見ていたんですけど、やっぱりホームに入ってくる姿だとか、レールの上をちゃんと走っている姿を見ると、いままで模型で確認してたのとは印象が違うなって。ちゃんと車両らしいシズル感が出ていたので、そこは安心したというか感動しましたね。
大長:バカみたいな話なんですけど、「わー電車って動くんだなー」と感動しました(笑)。いつも動いていない状態でモデリングしていたから変な気持ちでしたね。
大長:あらゆるモノに関われるところですよね。言ってみれば常に新しい状況に放り込まれるので、毎回違うクライアントと、毎回違う話をして、毎回違うフレームをつくる、それを違う言語にしていかなくてはいけない。決まりきったやり方はまったくないので、エキサイティングですよね。僕は親とか学校の先生から、「お前、ほんま“いらんことしい”やな」ってよく言われてたんですけど、僕はそれを誉め言葉だと思っていて、むしろ“いらんことしい”であろうとしています。もちろん“いる”ことはちゃんとやっていて、そこにプラス“いらんこと”をしたいんですね。そこに対してすごいポジティブな評価をしてくれる会社なので、“いらんことしい”の人は働きやすい(笑)。
廣村:デザインするモノの垣根がほぼないので、クライアントからの依頼があれば、いま現在にあるすべてのモノをデザインする可能性があると思っています。入社してすぐに金型樹脂製品を任されたり、入社3年目には電車のプロジェクトに参加することになるとは、PDCに入社する前は考えてもいなかったので、そういう意味ではあらゆるジャンルのモノが等価値というか、並行して進めていける場にいられるのは刺激的ですね。
――ちなみに、過去から現在まで続く、モノのデザインの歴史をどのようにとらえていますか?
大長:僕は歴史がすごく好きでなので、いままでどう使われてきたのか、どういう人が使ってきたのか、文化や風習からプロジェクトのきっかけを見出そうとする癖があります。最近、お茶道具のデザインをしたんですけど、お茶道具は全部一寸、つまり3cmを基本単位でつくられているんですね。ということは、それらが入る箱は一寸を基本にしたモノであるべき……みたいにルールを歴史に求めたりするんですよ。そこから物事に落とし込んでいくという、そういうことを常にしているので、歴史を参照することは仕事の上で欠かせないことになっていますね。
廣村:私はどちらかいうと、その時代その時代の形というか、その時代の製造法だからできる形があるなっていうのを日々感じていて。例えば、柳宗理のエレファントスツールもFRP(繊維強化プラスチック)でつくっているから、ちょっとずんぐりしていているんですけど、製造法があってのプロポーションなんだろうなと思っています。いまのものづくりもそういう風な、その時代だから特別にできる形というのがあると思うので、そういうのがつくれたらなと。
廣村:いままでは、プロジェクトのスピードについて行くのがやっとで、本当に必死だったんですけど、最近はようやく落ち着いて、自分なりに考えられる時間が徐々に増えてきたかなと思っています。PDCにおいては鈴木が目指している形が最も大事なんですけど、そこプラスα自分の考えももっと入れ込んだ形がつくれたらなと思っています。
大長:僕はやっぱり形というか造形に対して強い憧れがあります。フレームワークとか、概念とか、コンセプトって優等生的ですよね?その概念から「形がこうです」になるには、実はとても大きなジャンプがあって、「形がこうです」と言えるだけのものをつくれる人はすごい少ないと思うんですね。そこの造形を自分でもできるようになりたいと思っています。やっぱり美しい形には憧れますね。
――自分たちがつくったモノが、将来どのようになっていてほしいか考えたりしますか?
大長:僕は歴史書です!歴史書に載って欲しいです、明確に(笑)!
廣村:使える限り使ってもらえたらすごく嬉しいです。単純に素材の限界で朽ちていってしまうモノもあるけれど、残っていけるモノもあるので。器とかはけっこう長く残っていけるモノなのかなと思っています。
廣村:昔から植物を育てるのが好きで、毎日お水をやったりして手をかけて徐々に大きくなっていく過程が好きなんですね。これは、いまのプロダクトの仕事にも言えるかなと思っています。ひとつ試作をつくると、またいくつか派生したモノをつくって、コレとコレがいいから間の子をつくってみようとか、モノをつくるのに交配していく過程があったりして、そういうのがブリーダーとかに似ているのかな。ブリーダーなのか、農家なのかはわからないんですけど、そういうものに近しい気がしますね。
大長:僕は大道芸人でありたいなと思っています。実は中学生から大道芸人をやっていたんですが、トランクと自分の身ひとつだけで、基本的にまわりに味方がいないんですよ(笑)。警察にも怒られるし。味方がいないうえに、場所によってもけっこう条件が違うんですね。この場所だと、こういう音楽を流して、これくらいロープを張って、こういう芸からはじめて……と毎回試行錯誤しながら課題を解いていく感じでした。それといまの仕事は似ていると思うことがしばしばあって、毎回新しい状況において、どういう曲を流すのか?どういうロープの張り方をするのか?どういう芸をするのか?……それに対して、いかにシャープな解を与えられるか?それができると人が集まってきて売れるわけですね(笑)。
1990年、金沢生まれ。金沢育ち。金沢美術工芸大学デザイン科製品デザイン専攻を卒業。現在、株式会社PRODUCT DESIGN CENTERに勤務。入社5年目。ほぼすべてのプロジェクトにおいて、3Dモデリングから模型の製作まで、一貫して担当。PRODUCT DESIGN CENTERの「形」をつくるデザイナー。
1992年、兵庫生まれ。東京育ち。大道芸人として路上に立ちながら、慶應義塾大学を卒業。東京大学生産技術研究所山中俊治研究室を経て、現在、株式会社PRODUCT DESIGN CENTERに勤務。入社1年目。ほぼすべてのプロジェクトにおいて、コンセプトワークからマネジメントまで、代表の鈴木啓太のもと一貫して担当。PRODUCT DESIGN CENTERの「概念」をつくるデザイナー。