「デザインなんて興味ないよ、って切り捨てようとする人もいますが、デザインに興味のない人なんて、僕はいないと思っています」

小牟田啓博氏率いるau design projectの出現は、消費者、通信キャリア業界はもちろん、母体企業であるKDDIの頭をも、ガツンと目覚めさせた感がある。同プロジェクトの看板ケータイともいえる‘INFOBAR’は、デザインによるビジネス活性化の成功例として、携帯電話の枠を超え、他分野の産業へも大きな影響を与えた。

「auの携帯電話を持ちたい、と注目してくれる人は、ケータイそのものにかっこよさを感じてくれるのと同時に、そのかっこいいケータイを持っている自分をセンスいいなーと思ってくれる、第三者の目を意識する気持ちが多少はあるんじゃないかと思うんです。少なくとも3年前には想像もしなかったケータイとの新しい関係を求めて、INFOBARを始めとするauのケータイを選んでくれている人たちはたくさんいるはず。デザインを通してそうした気持ちの変化をおこせたこと、内面的な充実感を味わってもらうことで世間に貢献できているのは、すごく嬉しい。一人でも多くのユーザーに、喜んでもらえる仕事をしていきたいです」

通信キャリア界にデザインを本格的に取り込んだ第一人者とも言うべき小牟田氏が、自身の職業としてデザインを意識するようになったのは、高校3年の夏。卒業後の進路を考え始めた時だった。




「小学生の頃から絵を描くのは得意だったようです、いま振り返ると。コンクールにも入賞していたし、授業中も黒板に張り出されたりしていました。が、美術の成績は平均以下がほとんどだったので、その頃の自分は絵が得意だなんて思ってもいなかったんです。原因は態度の悪さ。課題が余裕で終わっちゃってひまになるので、裏側にいたずら描きとかしていて(笑)。『自分の作品に何しているんだ!』ってこっぴどく叱られてました。やんちゃが過ぎて態度が悪い、と。残念ながら良い生徒ではありませんでしたので…」

作品の出来と態度の善し悪しを同じ枠の中で評価され、点をつけられてしまうことは、本当に得意なものに対する自覚を見失ってしまいがちだ。

「そんな中、唯一中学時代の美術の先生が10をくれたんです。彼も僕の生活態度はもちろん知っていました。しかし作品のみに対する評価として点をくれた。絵は本当に出来ているんだな、って初めてちゃんと実感できたし自信になった。後の進路を決める、非常に貴重な評価をもらえたと思っています」

高校に入学してからのほぼ3年間は、野球と仲間達とのバカ騒ぎに明け暮れる毎日を過ごした。

「3年生の夏の大会が終わって、高校を卒業してからの進路を考え始めました。それまで勉強はさっぱりで(笑)。と言っても大学は行かないとなと思っていました。でも、したい勉強していきたい仕事が、この時はなかったんですね。エンジニアだった親父が、自分と同じ職業に就いて欲しいような意向があったので、じゃあ理系の大学かなと」

とはいえ理系で一流の大学へ現役合格するのは、勉強をなおざりにしていたハンデもあり、受験まで半年間の追い込みでは難しい。少しでも自分に有利な受験手段は…と考えた末、一番成績の良かった美術を活かせる方法を探すことにした。

「偏差値などの現実はさておき、理想は『理系で絵も描ける国公立大学』。これを条件に探したら、千葉大学の意匠系と九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学部)にあたりました。『俺ここ受験するよ』と高校の先生に報告したところ、『無理だろ』『あらそう』で終わりまして…。とにかく入れそうな大学を、と本で調べまくって海外の大学なども考えた末、美大ならば受験でも絵を重視するはずだし、入れるチャンスが高そうだと。美大に的を絞って、今度は予備校選びのため、近所のお母さんリサーチです(笑)。なになにさんのお宅のお兄ちゃんはどこそこの予備校へ通って現役で合格したらしいわよ、なんていう情報をいろいろ教えてもらいました」

小牟田氏インタビュー風景

リサーチの結果、立川美術学院という美大受験の名門予備校へ通うことを決める。当時相模原にあった自宅から片道1時間半かかる場所だったが、受験までの半年間、一日も休まず通いとおした。

「美大を受験したいと親父に話したら、『現役で入れなかったら大学へ行く金は出さん!』と言われて。自分と同じエンジニアの道を進んでくれるものだと思っていたのが裏切られたようで、がっかりしたんだと思います。その時は、じゃあ絶対入ってやるよ!!とタンカ切っちゃったんですけどね(笑)。でも言った以上は本当に入らないと後がないですから、それから受験まで、死にものぐるいの毎日でした。良いデッサンを描くためにはまずは良い場所からと、授業の始まる前、誰よりも早く教室に入って席をとりましたし、高熱を出したり病気で高校を休むことはあっても、予備校だけは絶対に休みませんでした」

やはり絵が好きだったことに加え、無類の負けず嫌いだった性格も、功を奏した。

「予備校に入った当初、一番下のクラスだったのがどんどん上のクラスへあがって勝ち進んでいく感じなどは、受験勉強とはいえ楽しかったですね。また、自分にゴールをつくって乗り切るのも良い手段だと思います。大学受験の時に目指したゴールは、青山にデザインスタジオをもって、ベンツSLに乗る!(笑)ゴールは出来るだけ具体的な内容がいいし、受験自体をゴールにはしませんでした。17歳で設定したゴールをトレースするだけの人生はつまらないけれど、その頃に見る夢としてはいいだろうと」




受験の結果、多摩美術大学への進学が決定した。補欠合格ではあったものの補欠者中で一番の通過だった。進路を決めてからわずか半年。短い期間で挑んだ難しい目標を思えば、よくやったと自分を誉めた。

「多摩美の当時の合格率は28倍。デッサンの試験は一部屋40人程度にクラス分けされテストが行われました。ならばクラスで一番うまく描けば合格できるはず。試験中に気を配ったのは、描く作業にだけのめり込まないことです。周りがどのくらい描けているのか、アベレージはどれくらいか、その中で自分はどの辺りに順位しているだろうか…。描く自分と、その後ろで冷静に作品を評価する先生と、二役の自分を意識しました。」

大学入学後も課題に追われる忙しい毎日を送っていた1年生のある日、グラフィックを専攻していた先輩から、デザインの超一流校『アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン』への留学を勧められる。

「『プロダクトでやっていこうと思うなら、10代のうちに参加しといたほうがいいよコムちゃん』て。米カリフォルニアのパサデナという町にある、世界に通用するカーデザイナーを多く輩出していることでも有名な学校です。『カースタイリング』を読んだりして車は以前から好きだったので、短期で留学してみようかと」

留学資金を準備するため、ガテン系のアルバイトを始める。学校はある、課題も多い、という生活の合間をやりくりしてのアルバイトは、朝から夜まで一日集中的に働ける職種を選んだ。

「親に頼めば出してくれるとは思うのですが、用意してもらえばそれだけいろいろ口出しされるし(笑)、それは嫌だったので」

目標通り全額バイト代で資金を準備し、カリフォルニアでの留学生活が始まった。
『アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン』は、既にカーデザイナーとして働き、企業からの派遣で学びに来ている社会人も多い。授業のみならず、生徒同士の交流の中から勉強になることも多く、貴重な経験を得た。中でも心に残っているのは…

「『コンセプトで人に貢献する。それがデザインの目的である』。当時の学長の言葉です。
デザインは決して独りよがりでするものじゃない。『生活者の視点に立ったデザイン』を広めることは、仕事を始めてからは特に意識してきた姿勢。学長の教えが、根底にあるのだと思います」



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「interview 2 / 入る器で自分が決められるのではないはず」




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